ヌーノ・別天地構想

君が泣くまで考えるのをやめない。つもり

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母親の退院

2018/1/01

 

新しい年になった。という実感はあまりない。

いつもはおばあちゃんの家で正月を過ごすのだが、今年は自分の家で過ごした。

だから、実感が湧かないのだと思う。

 

母親が12月30日に退院した。ひとまずは本当によかった。

まだ薬を飲んでいるので、本調子に頭が働いているわけではないだろうが、

これから家でゆっくり治せばよいだろう。

 

思い返せば、去年は大変な1年だったと思う。

8月に母親が統合失調症で入院した。それからというもの僕の生活は大きく変わった。

家族が1人いなくなると、毎日はなにもかもが変わってみえる。

 

家に5時に帰って、ご飯を炊いて、風呂を掃除し、洗濯物をたたむ。

冬の米研ぎは本当に冷たかった。

いつもはしないことをするのが当たり前になった。

 

その結果、ブログという「思い」のはけ口にたどり着いた。

アウトプットすることもきっと大事なことだと思う。

 

おまけに研究が大変だった。研究の仕方なんてたったの一年でわかるはずもない。

できもしない研究を続けることが辛かった、気がする。

まあ、するかしないかの問題なのかもしれないけど。

 

きっと去年は多くのことをおろそかにしてきただろう。

2018年はいろんなことを大事に過ごして生きていこうと思う。それが目標。

何かある年にしたい。

 

 

統合失調症の母(8)

2017/12/03

 

いつの間にか12月になった。

特に11月は慌ただしく過ぎて行った気がする。

 

自分は少しずつでも成長しているのだろうか。

少なくとも、このひと月は卒業研究は少しも進まなかった。

 

今日は心地よく晴れた日だった。

今日は私の運転で母の病院に向かった。

車を運転するのは、免許を取って以来だから、1年と半年ぶりくらいだ。

完全にペーパードライバーだったので、右左折が下手くそだ。バックできないし。

 

今日の母は前よりは少し調子が良かった気がする。

このところ良くなったり悪くなったりの一進一退だった。

ちゃんとご飯を食べているのだろうか。いまだに点滴をしている。

 

母は僕が免許を取ったことを覚えていなかった。

あなたがお金を出してくれたから、免許をとれたのだ。

家族がどこで働いているのかも覚えていない。

 

もうちょっと良くなったら外泊もできそうかなと思う。

まあ、また症状が悪くならなかったらの話だが。

記憶がある程度戻ってくれたらと思う。

失ったものを取り戻すのは果てしなく難しい。

 

 

このブログを書き始めたのも、母が統合失調症になってからだ。

母が家にいない生活に少しずつ慣れてきてしまっている自分がいる。

 

 

統合失調症の母(7)

2017/10/22

 

今日は台風が近づいているおかげで、

どしゃぶりの雨が降っている。

 

今日はいつもより、少し家を出る時間が遅かった。

車の中で考えていたが、

母はかなり回復に向かっているようで、

近々、退院後どうするかといったカウンセリングをするらしい。

母以外の家族は、みんな昼間は仕事と学校があるので、

家にいることができないが、母ひとりを家に残して、

大丈夫なのかという不安がある。

 

1週間ぶりにあった母は、大分元気になっていた。

近くのコンビニに行きたいそうで、

外出許可申請の紙を書いて、コンビニに行った。

母が買ったのは、くしや相部屋の人にあげる用のお菓子であった。

自分の見た目を気にするほどに元気になったということだ。

 

しかし、家族がどこで働いているかといった記憶はやはりないらしい。

そういった、記憶の曖昧さがなくなってくれれば、一緒に住めるとは思う。

なんだか、希望が少しずつ見えてきたみたいだ。

ここまで、回復に向かわせてくれた、病院には本当に感謝している。