俺も犬に嫌われてるよ!
俺もどうやら犬に嫌われているらしい。犬を散歩している人の脇を、自転車で通り抜けようとすると、いつも吠えられてしまう。
実際のところ自分自身も犬派か猫派どちらかと聞かれたら、猫派だと答える。犬はうるさいし、散歩などいつも面倒見ないといけなそうだし、それに比べて猫はおとなしいし、面倒をみなくても、勝手に散歩に行ってくれるとか。まあ飼ったことないからわからないけど。自分が犬嫌いなことが、犬にも伝わっているのでしょうかね。
小学生くらいの時に犬に噛まれたことがある。その時もたしか、散歩中の犬の横を自転車で通り過ぎようとしたところ、急に犬が興奮しだして?いきなり左足に噛みついてきた。ちゃんとしつけておいてください、飼い主さん。マジで。
最近では駅までの道によく、シベリアンハスキーだか、ドーベルマンだかよくわからないが、巨大な犬を連れた主婦さんが歩いている。これが案の定危ない。自転車で横を通り過ぎようとすると、そのシベリアンハスキーがここぞとばかりに襲い掛かろうとする。それにビックリして反応した主婦さんが、慌てて制御しようとするも、その犬にジリジリと引きづられていく。
いつも辛うじて横を通り過ぎれるのだが、通るたびに冷や冷やして肝に悪い。それに主婦さんを驚かせてしまって悪い。まあ、元はといえば、自分でコントロールできないような犬を飼う人が悪いとは思うのだが。それかちゃんとしつけておいてね。
それにしてもそのシベリアンハスキーだかドーベルマンだかよくわからない犬。多分、一般人が飼うやつじゃないよ、警察犬とかになるような犬種だと思うよ。
昔は家族が嫌いだった
僕は、昔は家族が嫌いだった。
それはきっと家族の悪いところばかりに焦点を当ててきたからだろうか。
大学に進学したら、家を出ようと決めていた。しかし、大学受験に失敗し、家からも通える私立大学に進学することになったので、今も家族と暮らしている。
一人暮らしと実家暮らしではやはり何もかもが違うと思う。大学生という人間的な変化の大きい時期に一人暮らしではなかったことは今でも悔やまれる。一人暮らしなら、自分でご飯をつくらないといけないし、洗濯物や洗い物や掃除なども自分でしなければならない。一人で過ごさなければわからないことだってきっと多い。
僕はそんな一人暮らしに憧れると同時に家族から離れようと思っていた。
父は姉といつも口喧嘩というか言い争いをしていたように思う。
父は僕に対しては甘かったが、姉に対しては厳しく当たり、喧嘩することが絶えなかった。亭主関白(?)というか、どうでもいいことに対して細かいイメージがある。
いつもテレビに出ている芸能人とかを「誰こいつ」みたいなことを言って否定していた。言わなくてもいい一言が多いのだ。それに自分の信じていることや知識をあまり曲げない気がする。
家族を一人で養ってきたのだから、家族に対しては何を言ってもいいのかもしれない。
姉は簡単に言うと頭があまりよくなかった。僕よりも3つ上だ。
太っていて、ほくろが多くて顔も美人とはいえそうにもない。
頭があまりよくないという表現で正しいのかは疑問だが、良くないとは思う。一度注意されたことを何度言われても直せないのだ。
箸の持ち方とかくちゃくちゃ口を開けてものを食べるとか、靴をそろえるとか、風呂を汚さないとか、お母さんの僕のことを変なニックネームで呼ぶとか。そういったことを何度同じ注意を受けても直せたことがない。
おまけに自分のできなかったことがあるとすぐ泣く。普通の大人が泣かないようなことで泣く。最近では、運転免許の試験落ちたとかで泣いていた気がする。
この姉をみて生きてきた。この人を反面教師にして育ったから、僕は箸の持ち方も正しいし、口を開けたこと一度もないし、靴そろえるし、言われたことは一度で直せる。
でもそれは実際あまり自分にとって利のあることにはなっていなくて、逆に人の悪いところばかりを探して、人の目を気にし、自分を良く評価してくれるようにいつも考えるになった。人に良く思われようといつも思っている僕は、人に見られることが逆にこわくなった。
中学生くらいからあがり症になった。大学での発表などでも僕はいつも声が震えている。人に悪く思われるのが怖いのだ。姉みたいに。
母は簡単にいうと極度の心配性だった。
僕に対しては少し、過保護なくらいに育ててくれた。心配性症というよりも僕とは違う意味で他人の目が怖いのかもしれない。近所の人にどう思われているかとか、職場の人に嫌われているんじゃないかとか、そういう類の心配性だった。
母はよく、家の窓のカーテンを少し開けて外を見ていた。「カーテンを閉めて」とよく僕は言われたものだ。
この母が8月に統合失調症になった。統合失調症は簡単に言えば精神分裂だ。
きっと前兆は表れていたのだろうか。その夜は独り言をずっと呟いていた。
一夜にして爆発的に活動し、その後エネルギーを使い果たし俯いたまま何も食べられなくなった。
家族の病気に対しては、身近な人は意外と気づかないものね。と、いつかの誰かの言われたような気がする。
別に死んだわけではなかったのだけれど、その時は何か大切なものを失ったような気がしていた。
今は退院して家にいるのだが、小さくなった背中とチョコチョコ歩く姿を見ると可哀そうに思えてくる。最近は、薬の影響でお腹がすくらしい。
ミスタードーナツを買って帰るととても喜んでくれる。だから、毎日ミスタードーナツを買って帰ることができるような経済力が欲しいと思う。
母が病気になったから、僕は家族を大切にしようと思えた。
病気になってから、大切にするんじゃ遅いのだけれども。病気は神様の与えてくれた試練とはよく言ったものだと思う、母が病気になったことで、僕は大切なことに気が付いた。
人は環境によって育つ生き物だ。きっと僕にも家族の遺伝子が濃く流れている。
寝るのにも努力がいる時代
最近の大学生って夜何時に寝るんですかね?
僕はもう完全にダメ人間で終わってます。
寝るのは夜中の2時過ぎで、起きるのは朝9時くらい。
昼間はいっつも眠い毎日です。
たまたま通ってる研究所が近くにあって、
そんなに朝が早くなくてもいいことが、
せめてもの救いですかね。
夜中の2時まで何をしてるのかというと、
ツイッター見たり、You Tube見たり、
ブログ書いたり、スプラトゥーンしたりとか。
今考えたら、目を酷使する趣味ばかりですね。
本当にどうでもいいことばっかりなんですけど、
その日のうちに全部やっておきたい気持ちが抑えられなくて。
現代って、コンテンツがありすぎるというか、
インターネットのおかげで世界は狭くなって、
面白いものや自分の興味のあるものを簡単に見つけられるようになったけど。
自分が消費されるスピードも速くなりましたね。
早く寝て、早く起きてっていう毎日を続けられたら、
自分を律している感じがして、きっと幸せなんでしょうね。
そうとわかっていても、僕は今日の愉しみと明日の心地よい目覚めを
天秤にかけては、今日の愉しみを選んでしまう。
僕は今日も寝ることを努力しないといけないのだ。
ふと思いついたので、
最後に、忘れらんねえよの曲、『寝てらんねえよ』貼っときます。
このPVおもしろくて、忘れらんねぇよのギタボが、
一人でドミノの記録に挑戦している映像です。曲の勢いがすさまじい。