ヌーノ・別天地構想

君が泣くまで考えるのをやめない。つもり

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私の物差しの目盛りは、他人のものよりずっと細かい


人それぞれ、「物差し」を持っていると思う。

その人自身の価値観によって定められた、「もの」の価値を測るための「物差し」。

 

この「物差し」の「目盛り」の大きさはそれぞれの性格や、

環境や価値観によって、変わってくる。

大雑把な性格の人の方が「目盛り」が大きく、

心配性で繊細な人の方が「目盛り」は小さくなる。

 

私の「物差し」の「目盛り」は他人のものよりもかなり細かいように思える。

本当に繊細で、かなり細かい事まで価値を測ることができる。

「目盛り」が細かすぎて、他人にはどうでもいいようなこと、

価値を測る必要もないものまでも「物差し」で測ってしまう。

つまり、不必要なことをいつまでも考えすぎて消耗してしまっている。

考えることをやめてしまいたいといつも思う。

 

さらに言えば、「目盛り」が細かすぎれば、「物差し」の「長さ」が足りなくなる。

「物差し」「目盛り」の大きさ「長さ」トレードオフの関係にある。

「目盛り」が細かければ、「長さ」は短くなり、

「目盛り」が大きければ、「長さ」は長くなる。

 いくら細かく物事の価値を測れようとも、「物差し」の「長さ」が足りなければ、

巨大な幸せが目の前に現れた時に、その価値を判断することはできない。

 

この世の中で生きていくためには、

きっと、適切な「目盛り」の大きさや「長さ」が存在するだろう。

私の持つ「目盛り」は、その適切な「物差し」に比べていささか小さいだろう。

「目盛り」が小さいよりは、「目盛り」が大きいほうがまだマシだ。

「目盛り」が大きければ些細なことを、気にしないで生きていられる。

些細な事を気にしないということは、必ずしも幸せではないかもしれないが、

きっと不幸せではないだろう。つまり、初めから幸せに近い立ち位置だ。

「目盛り」が初めから大きければ、その価値を測定できた段階で、

その価値は大きい。

 

ならば、小さい「目盛り」を持っている人はどうすればいいか。

初めから「目盛り」の小さい「物差し」を持っているならば、

その人は目に映るすべての「もの」の価値を判断してはいけない

それは消耗するだけだ。

判断すべき「もの」の価値のみを判断すべきだ。

さらに、その「長さ」を長くするように努力すべきだ。

巻き尺みたいに伸び縮みし、柔軟に「もの」の価値を測れるように。

 

初めから「目盛り」の大きい「物差し」を持っているならば、

小さな幸せも見つけられるように、「目盛り」を少し書き加えればいい

あくまでも、自分の幸せと他人の幸せが一致すると考えてはいけない。

適切に価値を判断できるように、「目盛り」の調整を行いながら、生きていこう。

 

こんな事を考えているから、私の「物差し」の「目盛り」が小さいのだ。