ヌーノ・別天地構想

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村上春樹と村上龍の違い

ノーベル賞の発表の時期が近づくときに、いつも思うことがある。

それは、村上春樹がなぜノーベル賞の候補に挙がっているのかイマイチわかってないのだ。

同じ日本人として川端康成と大江健三郎がノーベル文学賞をとったことは容易に理解できる。文章の美しさと巧みさが他の小説家とは違うレベルにあるからだ。

 

しかし、ハルキストと言われるように、海外で村上春樹が絶賛評価されている理由がよくわからない。確かに、村上春樹にしか書くことができないような、絶妙な比喩や表現も存在すると思う。どの小説も読みやすくて、イメージのつきやすいものが多い。さらに言えば、物語はファンタジー色が強く読後感が爽やかな印象を受ける。その点が海外で人気な要因となっているのだろうか。確かに、繊細な世界観は他の作者の作品では味わえない気がする。しかしながら、文章自体は短文を重ねた形式の文章であり、いわゆる日本文学的な格式のあるものとも感じたこともない。ユーモアのセンスは少なからず感じる部分がある。

 

個人的な意見になるが正直なところ、私は村上龍の作品の方が好きだし、文学としても優れていると思っている。

何故、村上龍が海外で話題になっていないのかが理解できない。そもそも翻訳されていないのかもしれない。きっと海外の人が読んだら、その鮮烈にイメージに圧倒されると思うのだが。単純に、村上春樹の小説の方が万人に受けるというか、読みやすくてイメージしやすい点が海外で支持される要因なのか。

村上龍の小説は日本という閉鎖された島国に生きている人間、さらに言えば悩みを抱えている、もしくは自分の生きる意味を探しているようなそんな人間にしか刺さらない可能性はある。

 

早く続きを読みたいと思うようなエンターテイメントとしての小説としても村上龍の作品のほうが優れていると思うし、現代に生きる人々の悩みに訴えかける文学としての側面としても村上龍の方が優れていると思っている。

 

村上龍の小説の良さは、小説全体がエネルギーを持っている点にあると思う。生死がすぐそこまで迫ってくるような緊迫感と密度の濃さ。圧倒的な物量で攻め立ててくる鮮烈なイメージ。村上龍の作品は「破壊」が描かれている。すべてを破壊してしまえばいいというのは、小説だからこそ許されることだ。イメージがはっきりと頭に浮かぶので、映画的な側面が強い。そして読んだ後に、気持ちがスッキリしてエネルギーをもらえるような小説が多い。

 

村上龍の小説は血が熱くなる、対して村上春樹の小説は血が綺麗になる。きっとこの違いは社会に対するイメージとか捉え方違う点から生まれているものだ。

 

読んだ後にエネルギーを与えてくれるのは村上春樹の作品よりも、村上龍の作品だと思っている。だけど、海外に評価されるには少し、日本的な思想とか社会批判的なイメージが強すぎるのかもしれない。内容の「濃さ」が海外でも評価されてほしいと願っている。

 

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